チェリーピック云々

今までアルバムCDが主力であった音楽産業が、デジタル配信を導入して以降、アルバムではなくシングルでばかり売れてしまう、というチェリーピックの問題なのね。デジタル配信でもアルバムが今までのように売れ続けていれば、そんなに問題にはなっていなかったわけで。

もちろん現状の米国音楽市場はその通り、なんだけど太字強調の表現に関しては違和感があるかなー。この「たられば」を「(当初の)思惑」とするなら、それは「アルバムが今までの様に売れ続けていれば」ということでは無いと思うんだよね。アルバム丸々1枚買わずに幾つかの代表曲のみを買うチェリーピック、音楽配信市場の起ち上げ以前から各方面で意見されていた要素であります。また、ファイル共有なNapsterの頃であれば、「何で1曲の為に1枚のアルバムを買わなきゃいかんのか〜」という形でもって、違法共有者が自身の海賊行為を正当化する理屈の一つにもなってたかな? まぁそもそも単曲販売の販路を確立させる以上、それに応じて顧客の消費行動が変化を見せるのは自然なことです。おそらくギョーカイ自身、既存のアルバムが今までの様に売れ続けるというシナリオは然程描いておらず、チェリーピックそのものは想定内だったのでは?と自分は考えてます。
想定外だったもの、それは「デジタル配信でもアルバムが今までのように売れ続けなかった」ではなく、「デジタル単曲販売によって得られる市場が思いのほか無かった」なんじゃないかな?と。この表現の方がしっくりくると思います。先述の「何で1曲だけの為に〜」という不満は、「カワネ・イラネ」「いっそDLしちゃえ」の流れに繋がっていくよね。僕自身、気に入った曲があってもアルバムを買うまでには至らなかったなぁ…なんて例が山ほどある。僕だけでなく他のリスナーの皆さんにとっても「あるある」だと思う。日本ならシングルCDやレンタル等、やりくりのしようがあるのだけど米国は大変です。しかしそれは未開拓の市場がそこにドンと存在しているという何よりの証左でもある。そこでバラ売りをすることで敷居を下げ、これまで引き込めていなかった需要を引き込み、市場の活性化を図る。これは音楽などのコンテンツ業に限らず、あらゆる分野での商売にも当てはまる王道中の王道。これが音楽配信市場起ち上げの頃にチェリーピックと同じくして言われた要素で、かつ、違法共有や海賊盤と戦う正しい方法だとも言われてきました。単曲販売によって失う利益はあれど、新たに得られる利益もちゃんとある、ということかな。しかし蓋を開けてみると…。
「どうしてこうなった?これからどうすべきだ?」みたいな話は今回横においておくとして。この、言わば「逆チェリーピック」、「チェリーピック」が今もちょくちょく出てくるのに対し、こちらは寂れる一方でカビてきてる印象すらある今日この頃だったので、少し日の目に当たればと思いボヤいてみました。

GIGAZINE、以前にBlu-ray関連の記事で自分は思ったりしたんだけど、海外記事だとアレっ気なものに簡単に乗っかっちゃうんだよなぁ(毎回では無いが)。それはともかく、こうGIGAZINEが下手打っちゃった様な格好になった事で、世論が「何だそんなことないんじゃん」「捏造みたいなもんじゃん」と反応することで、この手の議論におけるデジタル主義なバイアス(中間業者は不要!みたいな)を増幅、硬直させしちゃいそうな点が心配だなぁ。