訃報という名の娯楽

田の中勇さんの訃報記事をブクマする際、自分のタグ付けに「訃報」を加えてみた。それで「過去の訃報関係のブクマも整理しておこう」と訃報タグで過去のはてブ(マイブクマではない)をサーフしていると、「あぁこんなことあったなぁ」「えー、この方亡くなられていたのか…」「こんな人がいたんだねぇ」などなど、色々しみじみ感じ入る訳です。ていうかメンツの凄さに圧倒される。各記事の見出しを一通り見るだけでもお腹いっぱいに。そんな喜怒哀楽で括れない特別な感覚を受けるのが訃報ネタの醍醐味かと思います。醍醐味なんて言うと不謹慎ですが、まぁそれはちょっと置いておいて。訃報記事はだいたい「まとめ」の要素を多く含んでます。さらに足跡を辿るように書かれたりしますから、物語的な性格も帯びてきます。だからこそ惹き付けられるのでしょうか。一線を退かれた「過去の方」が一線に戻ってくる機会でもあり、我々はそれによって過去に思いを巡らせることも出来ます。そして何かを感じ取る。訃報ってのは温故知新、そう知新。
去年、King of PopことMJ、マイケル・ジャクソンが亡くなりました。急逝の方に晩年と呼ぶことは適当でないかもしれないけれど晩年のマイケルはThis is 斜陽で、栄光も完全に地に堕ちたという様な有様。しかし急逝はそれら全てを変えました。マイケルは20世紀のレジェンドの一つとして崇められるような存在になり、彼の作品は2009年に最も売れた娯楽商品にさえなりました。生前あれだけ溢れていた、借金だの整形だの児ポだのネガティブなものは全て何処かへ。世間や皆の心の中のマイケルは「きれいなマイケル」になりました(そりゃまぁ死人に鞭云々…ってのはあると思うけど)。そして「きれいなマイケル」になった事は、皆さん自身を「きれいな自分」にさせていないでしょうか? 自分の場合、訃報を聞くと残念だし無念だし、場合によっちゃ立ち直るのが難儀なことも当然あるんだけど、結果的にはどこか心が晴れやかになってしまうんだよね(一応、身内は別ね)。まるで自己啓発みたいな感じ。上で温故知新と言ったのはそういう事もあります。(脱線するけど、だからこそ東芝は、先日のブルーレイVARDIAの会見の際、自身で顧み5W1Hなりで再評価しなきゃダメだったんだよね。ただでさえこれまでの経緯がアレだったし、社内の為にもユーザーの為にも必要だった。なのに東芝は蓋して知らんぷり…。おそらくあの会見聞いた麻倉氏は…[以下略])。ぶっちゃけた話、顧みるという一連の流れは快感にさえ作用している気さえします。
という訳で、自分は不謹慎を承知で訃報というものに娯楽価値を認めたいし、より娯楽化されていって欲しいと願う。偉大な人物に関しては既にビジネス利用されてるけど、自分はもっと敷居が低く身近なものになって欲しくて。例えばテレビ番組のジャンルの一つとして市民権を得、深夜枠なら毎週のレギュラーとして組まれる様な。「訃報(ふほ)ステ」みたいな。何もテレビに限らなくてもいいし、出版で「訃報年鑑」とか。年鑑だと人数が膨大になるので「訃報四季報」「月刊訃報」とか。DVD付属にしたデアゴスティーニ式とか。ネットなら「訃報ちゃんねる」とか。ポッドキャストは…ちょっと厳しいか。まぁ訃報云々は、その性格的に受動的な接触であるべき気がするので、能動的に接触をする出版やネットなんかよりは「地上波の」テレビ番組向きな素材じゃないでしょうか。仮に出版/ネットでやるとしても独立ではなく、既存の有名な雑誌やサイトのワンコーナーとして設けるのが望ましいのでしょう。


あー、キー局で本格的にやらないかなー。一応、報道ステーションは時々ちょこっとやるんだよね。あれはいいものだ。あのコーナーはあの番組の希少な良心。まぁ、それを思い出して今回のエントリを書くに至ったんだけども。でもあれじゃ物足りないんだよー。もっと多くの故人を扱って欲しいのよー。そりゃ時間に枠ってのがあるから仕方ないけどねー。こればっかりは某掲示板で(TwitterHaikuでもいいけど)実況したい! 傷を舐め合いたい! 絶対ウケるし数字獲れると思うんだよォォー!! あれ、もしかして世間はそうでもない!? スポーツ紙の競馬面で「お疲れさま」のコーナーがあると絶対チェックして黄昏たりしちゃう競馬ファンは僕だけ? 一般的にもバラエティ番組として「あの人は今」みたいなのが確立されてる訳ですよ。思うに、訃報と言うのは「あの人は今」の究極ですよ。「あの人は今」だと一発屋や二流ばっかの芸能人しか出ないけど、訃報であれば一流二流問わず、そして芸能、スポーツ、芸術文化、ビジネス、海外etc、全方向で訴求が出来る強み。そして毎日人は亡くなって行く訳でネタ不足に絶対困らない強み。ん〜、不謹慎云々を除けば、取材やらでマンパワーがそこそこ必要だから意外と予算がかかってしまう難しい素材なんだろうか? でもそれなら尚更の話で、メディアが多様化する今日においてテレビが本領を見せる時としてトライして欲しいモンです。