ねっとふりくす

映像配信市場などが語られる際、「ネットフリックス」はよく出てくるワード。ネットフリックス社が行っているWatch Instantly事業が最大手の映像配信サービスであることは間違いありません。問題は、このネットフリックスの躍進に乗じて「円盤は滅びる」「ディスクを捨てよう」みたいな見解が度々出てくること。残念ながら、それはまるでどこぞのギョーカイによるロビー屋が政治家を説き伏せる際に使うロクでもない算出方法と似たようなものだったりします。
ネットフリックスのビジネスと既存のDVD/BD(セル・レンタル)ビジネスとでは役割が全く違う。お互いで共通するのは「旧作のDVD/BDのレンタル」だけ。実にこれだけ。これ以外はそれぞれに排他的な強みを持つ。例えば常に市場の主役である「新作のDVD/BD」を得るためには、DVD/BDをウォルマートやベストバイで買うか、街にあるブロックバスターでレンタルすることになる(ちなみにブロックバスターが倒産したのは日本でよく知られているが、半数以上の店舗を〆たものの残り店舗は今も営業中だったりするのは余り知られていないかもしれない)。ネットフリックスではこの新作の供給が出来ない。ちなみに旧作ですらWatch Instantlyでの品ぞろえは良くない(だからネットフリックスはDVD/BDレンタルサービスを続けているのだろう)。もし好きな作品をコレクションとして手元に置いておきたいのであれば実物のDVD/BDを買うしかない。当然データではこれが出来ない。しかしデータであることは店に行く手間がないというメリットに替わる。この関係は音楽と同じ。その音楽の話をすると、iTunesMusicSoreが躍進を続ける一方で米TowerRecordsが倒産した00年代半ばには「CDという円盤なんぞあと数年で消える」という論調を散々見てきたものだが、2012年となった今の米国でCDはしぶとく生き残っている。それは申し訳程度にリリースされているのでなく、レコード市場の半分近くを占める規模で。申し訳程度になるにはまだまだ時間がかかりそうだ。これが日欧だとCDはより強い。要するに住み分けでしかない。
とは言えWatch Instantlyでの映像配信は広く普及しており、多くの時間を視聴に費やされるようになっている。ではネットフリックスの躍進から何を物申すべきなのか? 「ディスクの終焉?」というシナリオ選択は大きく間違っている。正しい選択があるとすれば「CATVの再編?」だろう。コードカッターという異名が示す通り、事実としてWatch Instantlyサービスの大半の利用目的はテレビ番組を見るために利用されているのが実態。Huluなどの配信サービスにも言えることだが、映画を見るにあたってディスクの替わりに使われているのではない。映像配信とDVD/BDのビジネス云々を考える際、このズレ?や住み分け?を考慮しておくことは超必須である。さて、ネットフリックス自身、テレビドラマの独占放映権をテレビ局と争って落札したり、制作段階から出資などのサポートすることで独自コンテンツを揃えることに躍起だ。このCATV化がネットフリックスが狙っている目標と役割である。それだけCATVのマーケットは巨大な市場でかつ切り崩すのも比較的容易だ、何も全て奪う必要はない。少々でいい。元が巨大なのだからおこぼれも大きい。消費者の立場から考えても、数十ドル以上もするCATVの料金に対して10ドルもしないネットフリックスのWatch Instantlyは訴求力を持つ。このサービスはモバイル向けにも積極的に展開しているのだが、映画に比べて短時間で手軽なテレビ番組とモバイルの相性がいいのは明白だろう。

ところで、ネットフリックスはレンタルビデオの覇者として称賛されていたが、2011年にその覇者の座をコインスター社のレッドボックスに奪われることになった。ま、勢いの推移からして2010年からそういう気配はあったのだが。さて、そのレッドボックスはDVD/BDの自動レンタル機で躍進。いわゆるキオスク事業。スーパーやガソリンスタンド、駅やレストラン、人が集まるところには必ずあるという。そして安い。ブロックバスターの倒産がニュースになった際、あちこちで「ネットフリックスの躍進によってブロックバスターが敗れた」という論調でどこもかしこも定説化していたが、それは大きな間違い。潰したのはこいつです。それがなぜ誤解でまかり通っているのかは「ネットが勝った」「ディスクは滅ぶ」というシナリオが好まれるからなんだろう。「レッドボックスが勝った」では「DVD/BDは現役バリバリ」というシナリオ、それは都合が悪いのだろう。まぁそのネットフリックスでも当時はDVD/BDの宅配レンタルを利用しているユーザーが大半だったのだが「ネットの勝利!円盤は古い!」が論調の大半だったっけ。あーやんなっちゃうね。これこそがマスゴミだろうて、いやステマかもしれない。ちなみにレッドボックスは今年に入ってブロックバスターのキオスク事業を傘下にしていました。この二つのシェアだとネットフリックスにダブルスコアを付けるかも。
だからだろうか、ネットフリックスは今まで「ディスクを捨てる」というスタンスで臨んでいたが、ここに来てそのスタンスを捨てるような動きを見せている。特に大きな動きとして先日ネットフリックスはDVD/BD宅配レンタルのプロモーションを復活させた。大きなニュースにはなっていないようだが衝撃的だ。そもそもこれまでネットフリックスは「DVD/BDの宅配は郵送コストが大きく未来がない、だから映像配信のWatch Instantlyにシフトするんだ」と配信を推進する理由として言い続けていたのだから。なのに今そんなDVD/BDに回帰しようとしているのである。何故か。勿論、レッドボックスにシェアを奪われていることへの対抗もあるだろうが、実は「郵送コストが圧迫〜」なんて言っていたものの、ユーザーから得られる利益を見ると、DVD/BDユーザーのそれが配信ユーザーよりも数倍大きかったのである。実に皮肉だ。つまりDVD/BDユーザーがこれからも減っていくのだとしたらネットフリックスの経営はとても苦しくなる。埋め合わせる為にはWatch Instantlyの会員を増やすしかない。しかしそれにはこれまでの数倍以上のペースで増やさなくてはならない…。
そしてそこには壁がある。ネットフリックスがこれまでやっていたDVD/BDレンタル事業はライバルの少ないブルーオーシャンな世界だったが映像配信は全くそうでない。ITやCATVの巨大企業達によって争われる激戦地であり、これからの最前線だ。それは必然的に、厳しい価格競争による利益減と、コンテンツ調達が加熱化することでのコスト増と膨大なトラフィックを支えうるためのコスト増を意味する。既に競争は激化していて、CATVのコムキャストは低価格化を打ち出したサービスを始めることを決定している。先述のレッドボックスはベライゾンという大手通信キャリアと組んで映像配信サービスを始めるとしている。まさにネットフリックスはジレンマと直面しているのではないかな。こんな荒波の中で戦い勝とうとするのであれば、屋台骨だったディスクビジネス事業は捨てるどころか差異化の付加価値として大いに利用するしか道は残されていなかったりする。となると、ネットフリックスの躍進=ディスクの延命にすらなってしまう。おそらく、レッドボックスはもちろん、同じく映像配信サービスを始めたAmazonもこれに似たようなジレンマになると思われ。これは源泉を仕切るハリウッドにとっては都合がよく重要なことなんだろうねぇ。
最後に余談として市場そのものを見てみると、2011年Blu-rayソフトのセルスルー市場は約20億ドルだったらしい。映像配信の方ではNetflixAmazonらのサブスクリプション(会員制)市場が約10億ドル。iTunesStoreなどのPC・モバイル向けの市場が約5億ドル。そらそうよ。